大浦町榊の伊勢講棒踊り

●榊集落の棒踊り
 現在の榊棒踊りの衣装は、白地に椿がらの浴衣に、白鉢巻き、赤襷、黄と黒の帯を締めています。足は脚絆で覆います。採り物は3尺(約90センチ)の堅木の棒一本をそれぞれが持ちます。装束は全員揃いのものです。
 踊りは、6人がらみ(6人一組)で、2種類の踊りがあります。一つは、小さな円陣でしゃがみこみ、一斉に首を左右に回す場面が、クライマックス。もう一つは、チョイナチョイナの掛け声で、掌を額の前で内から外に返す仕種が特徴になっています。歌詞は、他の集落を同じく、「オセロが山で(後ろが山で)、前は大川」や「山太郎ガニは、川の瀬に住む」などを、長くのばして唄います。
 現在は、集落内の8か所を回って踊りを披露します。公民館(榊研修館)→デックドン(大黒殿の祠の前で野間岳に奉げる)→集落3か所(近世の社会組織「門」ごと。現在は上組・中組・下組と呼ばれる)→納骨堂→公民館の順。約1時間かけて、徒歩で集落を練り歩きます。
 榊集落の棒踊りは、大浦に春を告げるお伊勢講の日に、この年の豊作を願い、大地に活力を与える踊りと言えます。その衣装、踊りともに、粋な雰囲気をかもし出しており、他の集落の踊りに比べ、より風流(ふりゅう)化が進行した棒踊りといえるでしょう。


●大浦のお伊勢講
 大浦町における「お伊勢講」には、疱瘡踊りと棒踊りという2種類の郷土芸能が伝わっています。疱瘡踊りが女性だけで踊られる一方、棒踊りは青年(今は壮年も)が踊ります。
 疱瘡踊りは、伊勢参詣の道中を再現した「馬方踊り」から、シベを持ってお祓いの仕種をする「笹踊り」へと続きます。
 疱瘡踊りは、お伊勢講だけで踊られるもので、歌詞や衣装なども、伊勢神の力にあやかって疱瘡を除けようとする魔祓い芸能で、お伊勢講との関連は明らかです。
 一方、棒踊りは、他の地区では田植え祭りなど豊作祈願に踊られることが多く、お伊勢講には後から付随した習俗と言えそうです。
●榊集落の伊勢講
 榊でも、3年前まで疱瘡踊りが伝承されていましたが、伝承者不足から現在は途絶えました。10年ほど前には、NHK鹿児島放送局と南日本新聞社が主催する「伝承・郷土芸能キャンペーン」にも出演しています。その時には私も、鹿児島市民文化センターで、素晴らしい踊りを拝見しました。
 榊の疱瘡踊りは、茶屋ん嬶(カカ)と呼ばれる馬方踊りのシーンと笹踊りの2場面で構成されています。茶屋ん嬶は、加世田小湊にも伝承されており、そちらは今でも見ることができます。門外不出の踊りが伝わったということで、榊では大変な騒ぎになったそうですが、小湊ではきちんと教えてもらった謂れを伝え、大切に伝承されています。
 この集落の御伊勢講では、かつてはそれまで一年間祭ってきた宿でくじ引きをし、道中棒踊りに囃されながら宿移り、新しい宿に迎えられると、疱瘡踊りが踊られました。宿移りのさ中、竹垣の竹笹でお伊勢講の祠を叩いて、祓うものだったといいます。大変賑やかな風景が目に浮かびます。

→YouTube「大浦町榊の棒踊り
→解説「大浦町の御伊勢講 - 鹿児島祭りの森」